2009年3月アーカイブ

スーパーオートバックスにて交換

走行距離 92000km

EgOIL : gulf 5w/30

だいぶ放置していたので、交換後は最高に気持ちよかった。
3月は車検があるので、色々と交換します。
(12万くらいかかりそう。。。)
8月5−8日まで東京で様々な卒展を見てきました.

まずはインタラクション2009。
interaction2009.jpg
「作ってます!」と言った感じ。
がしがし動かして、結果こんなものにつかえそうといった感じでした。
実際つくってわかることが多いから、デザインも例外じゃないなと再確認しました。
(普段のシステム開発もつくってから「あ!」が多い...だめなんだよなこれ ;-( )
上の写真は、そのシンポジュームの様子。
トレードオフしながら喧嘩しながら製品開発をしているんだな。。。となんとなく現場の様子が見えた。



次に武蔵野美術大学。
musabi01.jpg
いわゆる美大の完成度の高さはすごい。
まぁ、言うまでもないんだけど。。。
上の写真は前回武蔵野美術大学 卒制展で「これすごい!」とみんなで言っていた作品です。
やっぱりあのできはすごいんだな。
そんな展示でも、説明してくださった先生に言わせれば、だめな点がいっぱいあるらしい。
地震カルタ(勝手に命名)の展示は厳しいご指摘だった。



次は多摩美術大学。


プロダクトのtop of topでした。
武蔵野美術大学もそうだったけど、展示の仕方から勉強になる。
(今年はどこもつり下げ式?)
そして、作者たちのもの言わせぬオーラがすごかった。
自信を持って「これです!」という感じ。

そして多摩美のもう一つ。
情デの卒制展

tamabi02.jpg

展示のほかに須永先生と諏訪先生の対談があり非常に興味深い話もきけました
tamabi03.jpg

「デザインとはなにか?」というよりは「デザインとはなにか?とはなにか?」というお話。
多摩美の情デは設立11年。説明する能力を持つデザイナーを育成することを目的として設立されたそうです。
テーマの「What's What's design?」は「デザインとは何か」という説明をするよりも、「デザインとは何か?とはなにか」を説明することで、問題点の大枠から質問者に自発的に考えさせ、理解しやすくするということでもあった。

そういえば、昔人前で話をするときによくつかっていた。
(生徒会長を小中高歴任w)
よく、ぐだぐだと細かいことを説明してくる人がいるけど
それだと質問者(疑問に思っている者)は受け身でしかなくて、入ってくる情報量と処理できる情報量差から結局わからなくなる。
それならいっそのこと、大枠から簡単に説明すると(だいたい1センテンス)その次に「どうして?」となる。それを続けることで相手のペースで理解しながら疑問点も明確になる。こういう方法論ってあっても良いような気がする...


と、様々な展示を見てきましたが
1つ重大な問題がより浮き彫りになりました。
それは、自分の立ち位置。

作っても負ける(美大)
考えても負ける

そんな気がしてなりません。
いままで、デザインとプログラムとハードを作れる人間を目指してきて、そこに他者との差別化を見いだしてきたつもりだし、それが自分のポリシーだったのに迷い始めた。

SE(Super Engineer / Designer)になるために何が必要なのか・・・・
ただ作れるだけじゃだめ。
いろいろ悩んだけど、結局自分は最強になりたいです(笑)

非の打ち所がないトータルバランスを目指す。
適切なトレードオフ。



なんだか何を書いているかわからなくなったので、やめにしておきます。
お叱りなどありましたらコメントしてください.






自分の頭の固さと保身力にはほどほど頭が下がる.
簡単なことができない....改善しなくては..

改善策は以下の通り


1.出来ていなくても見せにいく.

  そもそも,学びにきているんだからこれで良いんですよ.
  もうくるなと言われるまで行く予定

2.虎視眈々と驚かすことを狙う.

  「なんですかこれは〜!」と言わせたい.
  ってか想像の原点はこういうところだと思う.

3.自分が一番になるために何をするのか常に考えて表現する.
  
  自分のロードマップを描く.そのための手段を実践する.

4.一般論で新しいことができるか!
 
  そうです.当たり前です.
  一般論からの話は,何となく考えているような気がするけど実際のところ全然新しくなくて考えられていなくてつまらない.



話を聞きながら,なんでこんなことができないのかと恥ずかしかった.
そろそろびっくりさせてやりたい...
(ここはプライドもあるわけだ.)



新しいことを考える際の手法(アブダクション)

演繹

a の帰結として b を導くことを可能にする。 ほかの言い方をすると、演繹は仮定されたことの諸帰結を導く過程である。 妥当な演繹は、諸仮定が真であれば結論も真であることを保証する。

帰納

ある ab を必然的に伴うときに、 b のいくらかの事例を挙げることから a を推論することを可能にする。 帰納はいくらかの後件を観察した結果として蓋然的な前件を推論する過程である。

アブダクション

 b についての説明として a を推論することを可能にする。 このために、アブダクションは「ab を必然的に伴う」の前提条件 a がその帰結 b から推論されることを可能にする。 このように、演繹とアブダクションは、「ab を必然的に伴う」のような規則が推論のために使われる方向が異なる。 アブダクションそれ自体としては、形式的には論理学でいう後件肯定の誤謬に等しい。 このように、アブダクティヴな推論はそこで提起される原因が疑わしいので、「前後即因果の誤謬 (Post hoc ergo propter hoc)」という時間の前後関係を因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。


(出展:Wikipedia)


アブダクション手法でsolutionしなくては.

今まで完成品を見せて,おぉできたか!!すげぇ!みたいなことはしたけど

こんなものを作るとすごいんですよ!ということはしてこなかった.

やってみよう.

切られてもプライドどうこうの話じゃないんだ.


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